少し前にお婆ちゃん(ひいお婆ちゃん)が亡くなった。2年半位前には肺炎で入院し、担当医の先生からは「もう駄目かもしれません。治ったら奇跡です」と言われていて、その時は奇跡的に持ち直したんだけど、10年以上前(多分)には肺がんで片方の肺はとっていたりと今までにも色々な病気になっていたらしい。今回はコロナのせいで大きい病院には入院を断られたって言ってた。その後以前クラスターが発生した病院に入院した。でもコロナ対策が厳しくてお婆ちゃんが生きているうちには会うことも、ひと目見る事も出来なかった。最後にあったのは入院する1週間前。
お婆ちゃんが入院してからは私達弟妹はお婆ちゃんの携帯にメールをうったり、私と母はお菓子断ち(+私は小麦断ち)をしたんだけどやっぱり駄目だった。
今までは当たり前だったことがそうではなくなるとあの時こうしとけば良かったという事がどんどん溢れてくる。お婆ちゃんはいつも私達弟妹がお婆ちゃん家に行くと凄く喜んでくれて、逆に行けない日が続くと母に電話して「子供らは来られんのんか…」「最近誰も来てくれんな…」と言って凄く残念そうにしていた。
お婆ちゃんは私の物心ついた時から子供の誕生日には毎回赤飯を作ってくれたし、運動会などの動画は毎回見せていて、笑顔で見ていたことなど色々な事を思い出した。
だいぶ時間がたってきてだんだん大丈夫になってきてたけど、今日は何かが崩れた。1時間目からずっと涙がとまらなくって、ただただ人に見られないようにして静かに泣いてた。最近精神不安定すぎてヤバい。明日も学校 しんどい クラスの中にその一言で傷つく人もいるのに何も考えず面白半分で言葉をはっする友達 一体どうしたらいいの わかんない
誰か助けて!
くろハル、初めまして(*^^)
それはしんどかったよなあ。辛いことなのに、話してくれてありがとうね。
しんどくなるのに時差があるの、私もすごく分かります。
自分も高2の時に祖父が急に肺炎になって、突然口がきけない(いわゆる植物)状態になっちゃったんだ。
亡くなるのはそこから遅くなくて、気持ちの整理もつかなくて、訃報の知らせを聞いてからお通夜、お葬式、火葬...と忙しくて、死に向き合うことが初めてで、心がすごく疲れた。
学校に戻ったら、「〇ね」って言葉がいとも簡単に溢れていて、ものすごく悔しくて、しばらく学校生活に気が入らなかった。
気を許したら泣いちゃう気持ち、すごく分かる。だからくろハルが涙するのも、健全な感情だと思うんだ。我慢しなくていいよ。(泣きたいときはね、教室飛び出しちゃってもいいんだよ。)
身近な人の死って、中高時代に関わる人は多くないから、皆簡単に、心無い言葉を言えちゃうんだよね。
くろハルのお婆ちゃん、赤飯炊いてくれたり(赤飯って手間かかる料理だから、くろハルたちへの愛がなきゃできん料理だね。)、運動会で頑張る姿を笑顔で見てくれたり、くろハルのことが大好きだったんだね。素敵な婆ちゃんだね。
その愛情に気付いているくろハルも、お婆ちゃんに似て、素敵だよ!
お盆になったらきゅうりで馬、ナスでロバ作って、お墓参り行って、月命日には心で語りかけて…時間をかけてお別れしていけば、自然と受け入れられる時が来ると思う。
いつでも見守ってくれてるはずだから、大丈夫だよ。きっと!
私もあの時は辛かったけれど、今では後悔も悲しさも、懐かしく感じられるようになったから。
応援しとるよ。辛かったらいつでもここに来てね(^_-)-