犠牲なき世界など在りはしない
犠牲を伴ってこそこの世界
犠牲が在るから成功が近づく
犠牲があるから法が在る
犠牲があるから豊かになる
犠牲の上には平和が在る
犠牲によって平等が生じる
生きることにだって犠牲が伴う
時間、家畜、植物、人間関係、そして……
それすらも生まない世界は全く
馬鹿げていて、全く不完全で、
存在できるはずがない
いつから犠牲を全く生まない
世界が作れると錯覚していた?
犠牲が生じることこそが
"真"で、"全"であり、
"犠牲が生じない世界"は完全なる虚言で、
その虚言を脅かすような不都合な事実である、
"犠牲を生じるのがこの世界"というのは
驚くほど簡単で少し考えればわかる真実だ
犠牲なき世界に憧れを抱くのは結構、
永遠の夢であり、不可能なものだから
""だが""
憧れは理解から最も遠い感情だ。
理解している。と容易く使うが無理な話だ。
犠牲無ければこの世界は回らない、
存在できない。そういう風に出来ているのだよ
“#今度はあなたの番です”のタグありがとうございました。
オタPの弟子さんの作品は以前から度々読ませていただいていましたが、今回はまた哲学的で読んでいて何かと考えさせられるものでした。
前半パートは「犠牲とは何か」みたいな後半の前提になる部分をポエムチックに描き上げていて入りから引き込まれました。少し行を空けて後半パートは犠牲を真実と言い切り、“それすら生まない世界”や虚言、錯覚と犠牲のない世界をどこか浮世離れしたものとしながらも、それを最後には憧れと定義付ける。
言葉のニュアンスまでコントロールされていて感服しました。