近頃よく、貴方と居たときのことを思い出す。十年ほど前だろうか。私は幼稚園に通っていた。当時のことはほとんど忘れてしまったはずなのに、貴方のことだけははっきりと覚えている。
それは、蒼い月の光にかざして見るガラス玉のようにくすんで。でもしっかりと、私の脳裏にへばりついて離れない。
貴方が通っていた高校は、県内で唯一音楽科があり、楽器や施設の設備が整っていた。貴方は普通科だったけれど、何度もメンバーチェンジをしながら細々とバンドを続けていた。ギターボーカルを務める貴方の声は美しかった。
顔立ちは整っていて、面倒見もよく優しかったから、相当女の子たちには人気だったのではないだろうか、と今になって思う。
そんな貴方が私の名を呼ぶたび、私はなんだかくすぐったくて、もう一度呼んでとせがんでは貴方を笑わせていた。
貴方は二年生になると、時々授業を休むようになった。当時の私は特に深く考えず、幼稚園への送り迎えを母に頼まれている貴方を見て、一人飛び跳ねて喜ぶのだった。
「律、幼稚園行くよ。かばん持って」
貴方は私に話しかける時、目元を崩してはにかむように、それでもどこか泣き出してしまいそうな不思議な笑みを浮かべる。それは、私が一度だけ見たことがある、貴方が学校の友人に見せていた表情とはまったく違うものだった。
「ちょっと待って」
私は玄関に居る貴方に聞こえるよう、リビングから大きく呼びかけた。
貴方は私を待つとき、その派手なスニーカーのつま先で玄関のドアをとんとんとつつく。その時の表情がなんだか可愛らしくて、私は度々わざと玄関で待たせた。
幼稚園に行くと、貴方は私の友人たちからも人気があった。その中でも一際印象に残っているのは、アイカちゃんという私より背の高かった女の子だ。
その子は生意気にも、貴方のことを「蓮」と呼び捨てで呼んだ。貴方はとくに気にしていなかったけれど、私はそのことが不満だった。
ほとんど生まれたときからそばにいた私も、「蓮くん」と呼んでいたのに、どうして数か月前に出会ったこの子が呼び捨てなのか。まるで恋人みたいではないか。子ども心にそう思った。