いつか先輩に聞いたことがある
「僕はいい後輩になれましたか?」
答えは返ってこなかった
別に答えを求めてたわけではなかったが、それ以来その質問は答えのない問いとして自分の中で膨らんで行った
その問いを抱えながら自分も後輩を迎え、先輩と呼ばれるようになったが、先輩と呼ばれるのはどうも慣れなかった。おそらくどこかに後輩気分が抜けてなかったんだろう。それでも後輩と過ごす時間はあまりにも楽しく、そしてあっという間だった。
引退まで来ても抱えた問いに答えは出なかった。
先輩として後輩を見ることで確信したのはこの問いに明確な答え、正解がないということだけ、肝心の答えはモヤがかかったみたいで全然見える気配がない。いつしか部活の記憶とこの問いは1括りになっていた。
後輩が先輩として活躍する姿を見る立場になりその活躍に刺激を受けるというよりも心躍ることが多くなった。おそらくようやく真の意味で先輩になれたのだろう。
そうしてついに後輩の引退を見守る日を迎えた。
別に先輩ヅラするつもりなんてないけど後輩の演奏を見てると何故か彼らが入部した頃の姿が重なる。この感動は今この場の自分以外の誰にもできないものだろう。
そんな感慨を感じながら彼らの演奏は盛り上がりを見せ展開されていく。曲の情景、後輩たちの顔がありありと目に焼き付いてく。曲間、目が潤んでいることに気がつき、思わず目を瞑る。その視界の先で先輩が待ってたような気がした。
先輩にこの感覚を話したい、そう思った。
自慢とかじゃなくて自分を見守ってくれた感謝を示すにはこれが1番な気がしたし、先輩としか共有できない何かが胸に溢れているのを感じていた。
しばらく時間が経って
“あれがずっと抱えてた答えだったんだ”
ふとそんな気がした。
あの時、初めてその領域に達したような
「2年もかかったけどようやく答えが出たよ」
誰にともなくそう呟いた。