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平成にちなんで....(その②)

サザンの平成史を振り返る、第2弾です!

体調不良で離脱していた関口和之さんは95年に復帰し、桑田さんソロでしばらく活動してなかったサザンも95年から再び活動再開しました。

95~96年のサザンはサポートメンバーを一切使わず(使ってもブラスやストリングスだけ)、バンドサウンドを重視する原点回帰に突入し、その象徴としてアルバム「ヤングラブ」(ダブルミリオン)をリリース。

「愛の言霊(ミリオンセラー)」や「あなただけを~サマーハートブレイク~」(ミリオンセラー)など、ミリオンセラーを連発しました。

しかし、97年~99年にかけては世間一般のサザンのイメージとはかなり真逆の楽曲(打ち込み主体のハードロックなど)を連発。直球ストレートではなく、変化球をたくさん投げる時代に突入しました。

そしてデビュー20周年の1998年にはベストアルバム「海のイエー」と通算13枚目のアルバム「さくら」をリリースしました。

「海のイエーは「いとしのエリー」などの定番ナンバーがたくさん入っていたので、当然メガヒット。ただ、変化球時代の集大成である「さくら」は世間一般のサザン、とは違う楽曲がたくさんあるというデビュー20周年はどこへやら?というような実験的作品でした。

このように変化球ばかりのサザンでしたが、99年にはサポートメンバー0人で且つサザンのメンバー6人(当時は6人いました)だけで演奏するというファンクラブ会員向けのシークレットライブを開催、往年のファンを喜ばせ、「伝説のライブ」と語り継がれるようになりました。

このライブが後々、あの楽曲を生むきっかけとなるんですが、それはまた後程。

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