昨日は逆電ありがとうございました。
校長の真っ直ぐな言葉と、教頭の優しい声音に救われました。
逆電中には話せなかったのですが、母を大好きだと言えるのには理由があります。
小学校高学年から中学2年の頃までは、母のことが大嫌いでした。正確に言えば、「自分はあの人のことが嫌いなんだ」と思い込んでいました。
しかし、中学2年のある日の夕食中、祖父から「朝お母さんが倒れたの知ってる?」と言われました。その時、母は仕事に出かけていました。後で聞いた話なのですが、実際は倒れたという程ではなく、すぐに病院に行き、特に異常もなかったそうです。しかし、その時はまだ母が「倒れた」としか聞かされていなかったので、自室に戻って一人になった途端とてつもない不安に襲われました。「もしお母さんに何かあったら」という恐怖と「なんで倒れたのに仕事に行ってるの」という心配から、しばらく涙が止まりませんでした。そこで初めて、母は自分にとって大切な存在なんだということに気づくことができました。
逆電中に校長が「8年間も不安を抱き続けてきたのはしんどかったと思う」と言ってくださったとき、それまでは気づかないふりをしていた感情が溢れ出してしまいました。その後、うまく話せなくなってしまってすみませんでした。でもそれと同時に、「わかってくれる人がいるんだ」と、自分の辛さが報われたような気がしました。
また、「お互いに愛が向く瞬間があるのに、それをキャッチし合えないのは辛い」という言葉を聴いて、本当にそうだなと思いました。
そして、「書き込みの言葉が全てだと思う」と言われて、自分の気持ちに気がつきました。愛されたいという思いもありますが、それ以上に自分は"愛されていると思いたい"んだと思います。
(続きます)