「おはよう」と
毎朝あなたに声を掛けることができるなら
僕はそれで充分、幸せなのかもしれない。
「おはよう」のその先が、見てみたいなって思いました。
想像して、何度も頭の中で練習して、イメージは完璧なはずなのに一歩を踏み出すのって凄い勇気が要りますよね。何気ない日常の中に幸せが待っていたら、それだけで日々が色づく気がします。
> noakoさん
「おはよう」のその先…ですか。
この詩つくるのにそこまでは考えていませんでしたね。
noakoさんのいう想像や練習、イメージが「おはよう」の前であれば、
確かにその先を詠うのも面白いかもしれませんね。
【自己解説】
この詩は、「おはよう」と毎朝声を掛けられることができる小さな幸せについて考えてみました。
例えば、僕があなたに対して、僕側が緊張して声を掛けられない関係と想像して、毎朝声を掛けられる関係になれれば…という恋愛のような一面もあるでしょう。
若しくは、普段から挨拶はできる関係性はあるけれど、それ以上を望まなければ、小さくてもこんな幸せなことがあるじゃないか。という発見をする一面もあるかもしれません。
はたまた、会えさえすれば緊張も背負いもなく挨拶できるものの、毎朝会うこと自体がかなわないすれ違いのある関係性…という詩とも見ていただくのもいいかもしれません。
僕自身としましては、前者よりも他の二つを想いながら詠った詩に近いです。
また、小ネタ(?)として、タイトルの「try.」は、各行の末尾の字を縦に読んでみて単語になったので付けました。いつもタイトルを考えるのが苦手なので、こういう「言葉遊びもしてみたよ」というささやかなアピールになれば、と思いました。
P.S.
以前、ここに居た時にも書かせていただきましたが、僕のRN石動:は「イスルギ」と読みます。
年齢は特に離れていて、あまり頻度も多くはないですが、皆さまあたたかく接していただければ…と今更ながらここで挨拶とさせていただきます。
今後とも、よろしくお願いします。