不味い、と言うと父はにこにこ笑った。
私が杯をずずずと押し出すと、父はそれを手に取る。
湯気にメガネを曇らせ、意味ありげな間とともに杯に口をつけると、ややあって美味いねえと唸るような音が小さな笑みとともにこぼれる。
私はそれにどうも納得がいかず、足をばたつかせた。
――珈琲は不味い。おいしく感じることができるのは大人の証なのだという。
それは大人になったら珈琲がおいしくなるという話ではなく、大量の砂糖とミルクを加えない限り、多分これからもずっとあの味のまま、つまり不味いままのはずで。
だからその時変わるのは私の方で、それは舌にある味蕾の数とかいう外界の要因もあるだろうけど、私の脳の中とか、心の在り方も多分変容するのだろう。
――大人になる、それは変容してしまうということ?
「珈琲が美味しいって素敵なこと?」
父は杯を口元に添えたまま、湯気で曇った眼鏡をとおして、父はしばし私を見ていた。幾らかあって口を開く。
美味しいものを美味しいと言えることは、素敵なことだよ。
父はコップとジュースを取り出すと、私に注いでくれた。舌に残る苦味を押し流していくジュースは、とてもおいしかった。