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退屈の愛し方

『人生どうでも飯田橋』
いつしか見慣れたネットスラング。
物に溢れたこの現代、取捨選択が迫られる
何かを退け
何かに屈す
そうやって人は『退屈』を得た。
しかしその罪悪感に『退屈』はついに悪とされてしまった。
「自分なんて退屈な人間だから」
「何をしても退屈だから」
そう言って自分を、今を否定して
罪悪感の居場所を作ってしまう。

退屈な自分を愛し、許すこと
それが自分を肯定する第1歩なんじゃないかな

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  • 本当に脆すぎて、いまにもこぼれそうで困ってます。笑
    なんとか両手で受け止めている感じ。。
    綺麗な表現…本当になんでなんでしょうね
    今の心は汚れているはずなのに、
    言葉だけはこんなことでは汚れないみたいです
    (分かりにくいと思うのでスルーしてください汗)
    (タメ語気味で参ります、ごめんなさい!)

    「勇気と恐怖は紙一重」という言葉がずっと心に残ってて。
    対義語とか、類義語とか、
    勝手に考えてみてるのですが、なかなか思いつかなくて。

    素敵な言葉だなぁと噛みしめてます



    人々が
    「退屈」って幸せそうなことだと思っていたけれど
    手に入れると思うように楽しめず、
    「退屈」に罪悪感をなすりつけて、
    それを「悪」として責める対象にしてしまう

    難しいな、と思いました


    人々の性質が淡々と述べられていることで
    『自分はどうだろう?』と考えやすくなるし

    最後に添えられている
    「自分を肯定する第1歩」も見つけやすくする

    シンプルだけど、伝えたいことがちゃんと伝わる

    深くて、
    未完成の全知全能さんらしい、すっと入ってくる詩で
    すごく素敵だと思います!



    (また長くなってしまった…すみません…)