頑張る自分の姿は他人にも見せていたかもしれない
でも耐える自分の姿を他人に見せていただろうか?
どん底で挫けそうな時、そのありのままの姿を
恥じることなく見せていただろうか
自分は、他人から見えるよりも少し深い存在だと
他人に見せていなかった部分も自分は知っているのだから
その分自分は濃い存在なのだと
どうか自信を持って
「頑張れ」とか「君なら大丈夫」とか
つらいなら耳を塞げばいい 聞かなくていい
信じられる人の信じたい言葉だけを聞けばいい
今のあなたには、これまでのあなたがついている
向き合えなかった日も、気が向かなかった日も
全部認めよう。それがその日の自分の決断だったと
責めなくていい
これまでの自分を信じるならむしろ責めない方がいい
その日の自分も含めての自分で行くのだから
自信を持って。
らぁらさん、レスありがとうございます。
呼び方使っていただけてうれしいです。
言葉は「出会う」ものですか…
らぁらさんらしいまっすぐでいい表現ですね。
生まれた言葉は
誰かと出会って、誰かが思いを込めて初めて意味や彩りを得るのかもしれませんね…でもその権利は最初の一人に限られる…
僕の言う「街」はどちらかというと「音の街」です。
言葉になる一歩手前、誰かが意味を見出し、言葉になって使われては自然にかえって行く。その「言葉」が生むのはまた誰かの、何かの音…
みたいにね。
さてさて
この詩はまたメッセージ性が強くて胸を撃たれます。
自信とは自分(過去の)を信じると書く。
全体的にはそんな感じですかね。
特に「責めない方がいい」
という表現が刺さりました。
決してあきらめではなく、それこそが自分だけが知ってる自分なんだと言われてるようでどこか皮肉で、とても好きな表現です。
違ったらすみません…
長々と失礼しました