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余り者

 小学校、中学校、高校。
 年代が上がるにつれて、グループというものができるようになる。【学校】という狭い社会で生きていく上で、それに属さなければ、周りから変な目で見られてしまう。

 年代が上がるにつれて、私はこの、グループというものに苦しめられることになった。

 小学生の時。いつも一緒に遊ぶ子がいたこともあったし、そうでない時もあったような気がするが、もうあまり覚えていない。

 中学生の時。いつも一緒にいる子たちがいた。何かグループを作るときはほぼ100%その子たちと一緒にいた。お互いにお互い以外の選択肢がない状態だったように思う。

 高校生の時。クラスで行動を共にする子はいた。が、毎年メンバーが変わっていった。その子たちと十分に仲良くなったかと言えば、そうではなかったと思う。いつも絶妙に上辺だけの会話だった気がするし、お互いに奥深くまで触れることを避けていた気がする。
 そんな高校時代の私を一番苦しめた要素は、「中学時代のような関係の友達がいなかった」ことだった。私が、とても仲良くしていると感じていた子はイツメングループの繋がりが強かったし、クラスで行動を共にしていた子は部活のグループの繋がりが強かった。私の周りを見回せば、部活の仲間たちにはそれぞれにグループがあった。仲良くしている子にもグループがあった。その子たちにとって、私はいつも優先順位が下だった。こんな書き方をすると誤解を招くかもしれないが、決してあの子たちに悪気があったわけではなかった。なぜなら、私が一人になっていることに、誰も気づく余地がなかったのだから。誰も、誰も悪くなかった。

 それでも、私が“余り者”だという残酷な事実が在り続けた。

 今でもわからない。グループとは何?なぜみんな変える方向が一緒の人から一緒に帰る人を見つける?私はどうしてこうなった?私はいつになったら、誰かの唯一になれる?

 “余り者”という事実は、高校時代の私を暗い闇の底に突き落とすが、それはまた別の話。

  • 活動弁士の彩色(さいしき)
  • エッセイ
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