俺に遅れること5分,兄貴も弘明寺に姿を現した
「兄さん,呼び出してすまない。気持ちは落ち着いたか?」と訊くと「呼び出したのはこっちの方さ。でも,新幹線のおかげで落ち着けたよ」と返ってきた
ここからは歩きながら話すことに
「俺さ,どうしても知りたいんだよ」と言って兄貴が切り出すので「俺が今日の件についてどう思うか,ってこと?」と訊くと「その通りだ。俺はさ,台湾で日本時代の前から生活してきて日本語教育を受けた世代の人達やその子孫と仲が良いから彼らを傷つけたあの事件を知らずに爆弾発言をした彼女を許すことができない」と返ってきた
「俺は兄さんと違って,昔から台湾で暮らしてきた人々,本省人と俗に呼ばれる人々と縁が深い訳ではなくて、2・28は教育格差や偏見と言った根深い問題とその問題のせいで苦しんだ人々の不満があって,あの闇タバコ事件でそうした起爆剤に火がついて爆発した,歴史の悲劇だと思ってる。
ここからは完全に俺の話だけど,俺の母親は韓国人で,韓国で教育を受けた経験の持ち主なんだ。そして,母方の従兄弟も皆韓国で教育を受けた。韓国といえば反日教育で有名なだけに,俺は韓国にいる日本嫌い人達の身内じゃないかと言う疑念だけでイジメられて傷付いた。だからこそ,俺は対立の歴史を学ぶことで自分と同じように対立の渦中,特に歴史や政治といった根深い問題に関する対立の渦中で生まれ育って苦しむ人を救うための手伝いをしたいと思った。それ故,俺は台湾について霧社の悲劇も学んだ。だからこそ,嫁から事の顛末を聞いた時は憤ったよ。いくら無知でも,大勢の大切な命が失われた惨劇を生き延びた苦労とバレンタインデーのチョコ作りは大変さのベクトルが違うし,一緒にしちゃいけないってことは常識じゃないかな?」と返すと「やっぱりそうだよな」と返ってきた
「でも,パートナーに不満があって,それが積もりに積もって爆発したのならともかく、この一件だけでいきなり突き放すのもどうかと思う。『惚れた女を愛し続け,時には俺達にしか分からないことを口頭にしろ背中にしろ何らかの手段で示し,教えてあげるのが男の仕事だ』って言っていたのは誰だっけ?」と訊くと兄貴が黙り込んでしまう
このどんよりとした空気感を何とかするため「話が重くなったな。温泉入ってリフレッシュしようぜ」と提案すると「それもそうだな」と言って兄貴も頷いている