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五話 ペルミのグラークにて

 グラーク内には掲示板があって、そこには大抵ソ連のプロパガンダポスターがあるくらいだが、掲示板片隅にはいつもドイツ語の壁新聞が一部はってある。俘虜の中の新聞部が手書きで月に一回書いているもので、母国語と情報に飢えていたドイツ人は寸暇できればすぐに壁新聞を見に行った。
 中にはソ連人も見に来る。アヴェリンという男は収容所内のソ連人の中でも親独派将校であることで知られていた。アヴェリンは時折集まるドイツ人にドイツ語で話し掛けては、彼らを困惑させた。
 アヴェリンは、いつもある男を気に留めていた。矯正労働から戻ると掲示板の前から離れない男である。
「面白い記事はあったか、ええと君、名は」
「エッボです。ドイツ語ですね」
「ああ。俺はドイツに住んでたことがあってな」
「へえ。面白い記事はありませんが、興味深い記事は」
そう言って、エッボと名乗った男は『ドイツ、東西に分断される』という味気ない見出しを黒っぽく汚れた指で指し示した。
「そうらしいな。こうなっちまうと、またベルリンはお預けだな」
「ベルリン、行くんですか」
「自慢だが、俺はベルリン大学を10年前に卒業しているんだ。そこの友人に会いに、年に一度」
「僕もベルリン大学ですよ、6年前に卒業した」エッボは対抗して言った。
「ほう、6年……最近だな。お前いくつだ」
「33です」
「なんだ年下じゃないか。ずっと年上だと」
「……この様相じゃ、そう思うのも無理ありません」
 アヴェリンはエッボを改めて見た。身長は低く勿論自分よりずっとやつれ痩せ小柄に見えるが、髪はぼさぼさで無精髭も生え、姿勢が悪い。40歳は過ぎていると思っていた。改めて、グラークとは酷いものだと思った。ソ連人でさえ劣悪な労働環境に辟易しているのに、寒さにも慣れず、一日カーシャ一杯と黒パン一枚で肉体労働を強いられる彼らを思うと寒心に堪えない。
「そうだな……絶対、戻れる。俺が言っちゃ許せんだろうが、俺はお前らの帰国を願ってる」
 アヴェリンは真剣な眼差しでエッボを見つめ、声を潜めつつ言った。エッボは虚ろな目を記事にやったまま、何も言わなかった。


                           終

  • 超短編集『残滓』
  • ちょっとペルミも牡丹江も優しい世界過ぎる
  • ペルミはウラル山脈西にある都市
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