Ⅱ
月が上品な乳白色の光を湛えて天頂に登りました。
その子は一辺一米ほどの木箱の中で『トカゲの木』を静かに見つめていました。
これだけではへんてこれんな文章ですが、これにはこういったわけがあるのです。
Ⅲ
ある街のよくある民家に、これもまたよくある、背高ノッポの木がありました。背高と言ってもせいぜいが二米程度で、枝も幹も鶏の脚くらいの太さだからそう見えるのです。その木がある家には齢十にも満たない幼い子息がいらっしゃいましたが、彼には『トカゲの木』と呼ばれています。というのも、この木には、いつも干からびて煮干しのようになったトカゲが串刺しになっているのです。口から尾の付け根まで、糸車の針のような枝が貫いています。
「これは、誰がやっているの」
幼い子は母上に聞いたことがありました。
その度に彼女は、きっと野良猫が遊んでいるのでしょ、取っていらっしゃいね、と答えました。しかしその子は決まって、こう反論なさるのです。
「違うよ、同じ野良猫が毎日来るわけないよ」
「じゃあ違うのが来るんだわね」
「いつも同じところに刺さってるんだ、同じのがやってるんだよ」
「あらそう。じゃあその猫の縄張りになってるんでしょ」
「でも僕、ここらで猫なんか見たことないや」
「そうなの。会えると良いわね」
確かにトカゲの木の横にはそれの半分くらいの高さの箱が置いてあって、それに乗ったら猫でも届くでしょうし、第一、そんな気味の悪いことをするのなんて、野良猫くらいなものです。ですからその子の母上は本当にそんなことを思ってらっしゃいました。彼女はわざわざ外に出て、トカゲの死骸の刺さった木をまじまじと見たりはしませんから、それが毎日あるとは知らないのです。
しかし子息の方はトカゲの木が気になって仕方がありません。もしかしたら近所の年上の子供が、自分に意地悪をしようとしているんじゃないかしらと思っているのです。これは大変!放っておいたらこれ以上何をされるか分かったものではありません。母上にも迷惑がかかってしまいます。
そうした経緯で、この子は今、トカゲの木の横で、箱に隠れて息を殺して外の様子を伺っているというわけです。