セブ時代のクラスメイトで一緒に出かける機会が最も多くて出かける時は常に奢り合う仲であったKからの電話が届き,イギリスのパブを意識した店を見つけてそこで呑むことにしたので店の前で集合とのことだ。
嫁が飯田橋の駅前にかかる牛込橋を見て「行きは意識してなかったけど,ここの橋って電車好きな子供には良さそう」と言っているので「俺なんか高校生になってもここ来て電車見てたからなぁ…中学の先輩,めちゃくちゃ気さくでさ,しかも鉄道ファンだから話が通じるのなんので中一の頃は楽しかったなぁ…俺が中2でその先輩が高1になったら、中学の鉄道ファン仲間全員で連絡取り合ってそこの神楽坂の阿波踊り見るついでにここで特急列車見て、そこの青森県のアンテナショップでリンゴジュース買って開けてから中央線で東京駅行って赤羽と池袋で乗り換えて新大久保から走って帰ったんだ」と言って思い出に浸りながら坂下の信号を渡って神楽坂を登って歩いていると幼少期からの散歩コースだったこの街に詰まった思い出が映画のシーンのように繋がって一つのストーリーとして走馬灯のように蘇り、様々な思いが込み上げてきた。
およそ徒歩5分の道のりがここまで長く感じられたのは後にも先にも無い。