【ちょっと余談感入るけど続きです。】
色々省くけど、それから家族と離れて学校も離れて、それでもストレスから解放されないまま高3が終わった。そこで初めて自由になった。制服を着てる若者を見るだけで今でも呼吸が苦しくなるくらい怖いし、そうじゃなくても人混みでちょっとでも視線感じると不安になる。人に期待しないで諦め続けて自分の感情もよくわかんなくなるとこまで来てる。
だけど、自由になれた。初めて使う自分のスマホにゲームを入れて、姿が見えない人たちとチャットで喋ってみる。最初は怖かった。皆に嫌がられるんじゃないかって思った。今でも自分の見えないとこで何か言われてるかもって不安になる瞬間はあるけど、表立って拒否されるようなことは無かった。そのチャットで初めて友達もできたし、その子が居てくれることで今まで全く想像できなかった幸せと心の支えが生まれた。
散々苦しんできてからの初めての幸せって威力が凄いんだよ…ずぅーーーっと感謝しまくってる。新しい経験のおかげで今までしんどかったの耐えてきて良かったなって思いながら生きてます。パズルの大事なピースが色々繫げてくれたみたいな感覚。これでも良かったのかなって思えてます。
未来の希望をアレコレ言われてもそんな余裕無かった身なので、こんな経験した奴が居たんだなぁ〜くらいで良いんです、無理に希望を持てとは言うつもりなくて、ただ今を繫いでいった先にあったものの例として、意識と無意識の境目ぐらいの場所にでも置いててくれたら嬉しいかなってぐらいの話です。
ゲームで話してくれた他の人の話になりますが(虐めからちょっとズレる、ていうか広がりすぎるかもしれないけど)、親の教育が間違ってて自己中に育ってしまった、と聴かせてくれた方が居ました。その方とは全然問題無く話せていて不快だと思ったことは1回も無いんですが、虐めてしまう側にもそれぞれが育つ環境とか聞かせられてくる思想もあって、その人が育つまでに関わる周りにもそうなる流れがあるものなのかもしれない、と改めて考えるキッカケになったんですよね。セカオワ先生のDragon Nightを思い出しました(笑)好き
(まだ収まってないですね、ごめんなさい、第四部行きます……)