レトロリロンさん、校長教頭、こんばんは!
レトロリロンさんの、自分の矛盾から来る葛藤を謳い上げた歌詞と、それを時に包み込み時に抱え上げるインストゥルがたまりません。いつも、私を鼓舞しつつ心の中を代弁して下さいます。ロンリーパラドックスという言葉にはハッとしました。そんなレトロリロンさんだからこそ聞いてほしいお話があります。
私は現在、大学1年生です。大学に入ってから、周囲の人に言われるようになった言葉があります。
「やさしいね」
今までこの言葉をこんなにも言われたことはありません。
大学に入り、色々なことを頑張りました。特に、今までの「殻などぶち破って脱ぎ捨て」たかった私。外見の努力もしましたが、それ以上に性格を変えていきました。積極的に話しかけ、よく笑い、よく人を笑顔にさせる。無理はしていません。ちょっと頑張った、というところでしょうか。どうもそういう様子を「やさしい」と評価してもらっているようなのです。
ただ、どうでしょう。この嬉しい言葉はどうも、私には相応しくない気がします。私はそんな奇特な人間ではないのです。
私が人に優しいのは、優しくすれば優しくしてもらえるから。話しかければ後々私に話しかけてくれる。笑顔で接せば後々私に笑顔で接してくれる。笑顔にすれば後々私を笑顔にさせてくれる。この ” リアル・情けは人の為ならず ” を、私は半ば本能的にやっているのです。「やさしくしている」自覚はあります。でも「やさしく」はないんです。
「無償の愛」という言葉もあるように、与えることを喜びとするのが真の優しさだと、私は考えるようになりました。優しさって見返りを求めないものなのでは? だとすると、見返りありきの私の優しさは、優しさとは言えない気がします。レトロリロンの皆さん、どう思われますか?「やさしさ」って、見返りを求めないことでしょうか?
「やさしさ」が分からなくて、もがいてます。
『優しさ』で悩んでらっしゃるのは私もわかります。自分は人を傷つけないようにすることで一生懸命でそれが友人から『優しい』と思われるのですが、人を傷つけないようにする=優しいではないと思うのです。しかし、貴女は本当に優しいと私は思いました。なぜ分かるかは内緒です。(*^^*)
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貴女に向けたポエムを書きました(*^^*)