大森先生、若井先生、藤澤先生こんばんは。今か今かと待っていました、familieリリース。“君に見せたい景色がある 僕の「好き」をどう思ってくれるかな” familieで若井先生と藤澤先生がトロッコに乗ってステージから離れ、大森先生だけがセンターステージに残ったゼンジンのあの構図、忘れられません。言葉が純粋にまっすぐ伝わってきました。緻密に考えられているなぁと、この瞬間もミセスの物語の1ページになるんだなぁとそんなことを感じていました。若井先生と藤澤先生が乗るトロッコから出るシャボン玉が風に乗せられて、満月の空に登っていって、、、とても幻想的で多幸感溢れる時間でした。
改めて真剣に歌詞と向き合ってみると、あったかいだけじゃなくて、ヒリヒリした思いも湧いてきました。心がツンと痛むような歌詞に明るい曲調がそっと被さって、あたたかさをもたらしてくれるような曲でした。まるでフロリジナルみたいに。「愛」の発音が少し儚げで、愛という形を伴わない存在を信じきれない心情が感じられました。“どこまでがただ、愛と呼べんだろう” 気になるのは「ただ」の意味。相手に何気なく、心地良く、受け取ってもらえる愛の限界を問うているように感じました。相手といっしょに包まれるはずのeuphoriaに自分だけが溺れることを怖がっているように思えました。当たり前に愛し合っているはずの家族のような存在にすら疑いを覚えてしまうけど、それでも愛する気持ちの根強さとあたたかさを信じて唯一の場所へ戻って行く、そんな情景が頭に浮かびました。ちょっと照れ隠しな歌詞も入ってて、聴いていると作詞家の大森先生がちょこちょこ脳裏に浮かんできました。大森先生の心の中をまた少し覗かせてもらえたような歌詞でした。