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沼貝(前編)

 アイヌは畑作は行っていたが、水稲には手を出さなかった。これはもっぱら民族的な気質によるものだろう。そのおかげでアイヌは自らが神になることはなく、自然神(カムイ)とともに生きることになった。
 雑穀を収穫するのにアイヌは、貝で作った穂摘み具を使っていた。紐を通し、フラメンコのカスタネットのようにした二枚貝でちぎり取るのである。鎌を使ったほうがはかどる思うが、鎌は魔を断つためのもので、神の恵みである食物には使用しなかった。  
 なぜ貝を用いるようになったのかについて、こんなエピソードがある。    
 日照り続きで沼の水が枯れ、パニックにおちいった沼貝たちは、口ぐちに助けを求めた。
「誰かー」
「どうかわたしたちを水のある場所に移してくださーい!」    
 と、そこにサマユンクルとその妹が通りかかった。    
 生理前でいらいらしていた妹は、手を差し伸べようとしたサマユンクルを制し、「おめーら、うるせえんだよ!」と言って沼貝たちを踏みつけ、蹴飛ばし、「はー、すっきりした。お兄ちゃん、お昼ごはんはかわうその脳みそがいいなー」と言って、兄の手を引き、去った。
 まさに踏んだり蹴ったりで、救助を呼ぶ気力まで奪われ、瀕死の沼貝たちのもとに、今度はオキクルミとその妹が通りかかった。
 沼貝たちを見下ろして妹は言った。
「お兄ちゃん、なんだかこの貝、ぐったりしてるように見えない?」    
 妹がそう言うとオキクルミは、「貝なんてみんなこんなもんだろ」とめんどくさそうにこたえた。
 すると頑固な性格の妹はオキクルミをきっとにらんで、「絶対ぐったりしてる! わかるもん、わたし」と言って沼貝たちを両手ですくい上げ、湖の方向に歩き出した。オキクルミは、「なぜわかるのかエビデンスを示せ」などとぶつぶつ言いながらも、妹について行った。

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