自分は障がい者だからさ、他人(健常者)と違う所が山ほどあるのよ。
その全てを受け入れた訳じゃないけど、今は全て背負い込んで前進し続けてる。
ただ1つ気になるのは、「今の一般的な障がい者は自分の障がいを肯定的に受け止めて“個性”とか“特性”だとかって言ってるけど、自分にはそれができない」ことなんだよなぁ。
ウチが小中学生の頃は今の子からしてみれば信じられないかもしれないけど“障がい者差別(特に精神系)”がもっとあったのよ。
小中学生だからかもしれないけど、そういう子を露骨に避けたり嫌ったりいじめたり、家族とか周囲の健常者がかわいそうだとか言う奴もいたくらいだった。
だから当時は自分を健常者だって信じてたのもあるけど、そういうのを見ていたのもあって「異常でいることはよくないこと」だと思ってたし、普通の人のように喋れないことを直したくて仕方なかった。
学校でも先生から文句をつけられることが多くて、ずっと「普通にできないと大人に怒られる」と思ってたんだけど…
でもだんだん世の中が変わっていって、健常者たちが「障がい者差別はよくない」とか「障がいは個性」とか言うようになって、子どもたちもそう言うようになってきた。
実際メディアとかで目にする障がい者も「障がいは個性なんだよ」って言ってる人が多いし、ウチの親もそう言い続けてる。
だけど幼い頃から“障がい者”という自覚を持って育った人はともかく、自分みたいにだいぶ大きくなってから“障がい者”として生きなければならなくなった者としては違和感なんだよ。
なんで散々ひどいことしてきたのに今さら手のひら返ししてるの?
障がい者が「障がいは個性」って言うのはまだしも、健常者が言う「障がいは個性」は本心なの?
その障がいで苦しんで、己の障がいを呪い続けている子にそんなこと言える?
大多数の障がい者が己の障がいを肯定しつつあるんだろうけど、自分にはそれができない。
でも、障がい者だったから今の大学にいて、すごくいい仲間に出会えたんだ。
だから若干肯定してもいいかなぁって思ってるけど、やっぱりあと一押し足りないんだよなぁ。