今、学校の合唱で『花は咲く』を練習しています。
最初は何気なく歌っていたけれど、
『すずめの戸締まり』を思い出したのをきっかけに、
歌詞の意味を自分なりに考えるようになりました。
私の中で、
この曲には「仮主人公」のストーリーがあります。
震災の日の雪の中、家を離れて東京に移り住んだ主人公。数年後、少し綺麗になった故郷に一度帰ってきて、直した我が家で朝早く起きてドアを開け、「行ってきます」と言うんです。
あの日、「行ってきます」と言ったまま帰れなかった人
たちの生きたかった未来を背負って、
また新しく生きていくという決意の「行ってきます」です。その一歩から、周り一面に花畑が広がっていく映像が頭に浮かびました。
そして最後の「いつか恋する君のために」は、
震災を乗り越えたお父さんやお母さんが、
新しく生まれてくる我が子にに語りかけている
親の祈りなんだと思いました。
つないでいきたいみたいな感じもあっているけど
少し違うかもしれなくて……
「私たちが味わったような悲しい世界じゃなく、あなたが生きる未来は、誰かを真っ直ぐ好きになって
幸せな恋ができるような温かい世界であってほしい」
という願いが込められている気がします。
人によってイメージは変わると思いますが、
明後日の学年合唱、
この思いを大切に歌いたいと思います。
自分語りになるけれど、15年前の震災を東京で経験して「花は咲く」が世に出た時期をリアルタイムで経験した自分にとっても、あの曲の詞の解釈は難しいよなぁと思い続けてきました。
小学生のころ、あの歌の詞に出てくる「わたし」は「あの震災を生き延びた人」なのかなとなんとなく思い続けてきたけれど、最近は「あの震災を”生き延びられなかった“人たち」と考えてもおかしくないよなと思うようになっています。
「懐かしいあの街を思い出す」とか「懐かしいあの人を思い出す」ってのは、震災で”この世からいなくなってしまった“人たちが”かつていた街や震災を生き延びることができた大切な人たち“をどこか遠いところから思い起こしているんじゃないかと思っていて。
それで「叶えたい夢もあった」「変わりたい自分もいた」は”この世からいなくなってしまった“からこそ、できなくなったことを「わたし」は悔やんだり惜しんだりしている。
だからこそ「いつか生まれる君に」「わたしはなにを残しただろう」は、”震災以降に生まれた“震災を生き延びた人たちの新しい家族(=君)に、”生き延びることができなかった人たち“(=わたし)は”なにか(それは思い出かもしれないし、また別の受け継がれるものかもしれない)“を残せるだろうか、いやないよねって生き残った者たちと新しく生まれてくる人たちのことを気にしているのかなと思ってる。
そして最後には「いつか恋する君のために」と”わたし(=この世にいない人たち)“を知らない、いつか恋をして、また新しい家族ができるであろう”君(=震災以降に生まれた人たち)“のことも、”遠くから見守っているよ“的な意味合いを込めているんじゃないか…とここ2、3年は考えています。
まぁ「すずめの戸締まり」未履修勢の妄想なので、こんな悲しい解釈は真に受けない方がいいと思います。
ただこういう曲はいっくらでも解釈ができるし答えなんて恐らくないので、自由に受け取りましょうや…