きっと誰もが溺れる間際を彷徨って、切れかけたカラダを何度も縫って、今日も戦っている。それが目に見えるものなのか、はたまた見えないものなのか。
回りすぎて正面がわからなくなるときもある。正解を間違いと言われ、正義を偽善と笑われる、そんなこともあるかもしれない。
それでもここは、それぞれの色が輝き、それぞれの言葉がメロディをつけ、ポロンポロンと飛び立つ。
ただここにいる。それだけでいい、それ以外何もいらない。ここには、今日も言葉が踊ってる。
画廊と呼んだ人もいるし、大きな黒板に囲まれた広場の絵を描いた子もいたっけなぁ。
「ここから」戦いに出るための、戦いの疲れを癒すための、"home"として。
ことばで遊ぶための、ことばで踊るための、仲良く喋るための「部活」として。
自分の色を塗るための、絵を描くための「美術室」として。
みんなそれぞれの、たぶん部員の数だけ、いろんな使い方があるけれど、
「ただここにいる、それだけでいい」んだろうね。
此処に出会えたことに感謝だね。
心に大きなものを抱えていたとしても、大多数の人はそれを見せずに笑っています。
そしてここは、喜怒哀楽が文字として交差する場所だと私は思っています。
私はここで、沢山の人の旅立ちや思いを見るたび、ここにいていいのだろうか?と思う時があります。それでもここにいたいのは、シャアさんを含め、見えないけれど確かにいる誰かを求めているのかもしれません。
うまく言えないけれど、シャアさん、いつもありがとう。