悪口を言われてもあんまり傷つかなくなった。人間不信度は増していくけれど。今までそういう対象にされることが多かったからかな。悪口を言われるのは嫌だけど、そういうこと平気で言える気持ちがわからない。人が悪口言っているときの顔って歪んでいると思う。私は恥をかいて生きていくから、影で好きにまた言えばいい。そう思えるようになったのは強くなったってことなのかな…。
トラたまさんは恥をかいて生きていくんですか?
わたしは、今もトラたまさんが恥をかいてるとは思えません。確かに悪口は人をそういう感覚にさせますが、悪口を言っている人の方が恥をかいてると思います。
悪口を言っている人って、トラたまさんも書いてますが、全然きれいじゃないです。。
トラたまさんは堂々としていていいと思います。恥をかいてるのは悪口言ってる人の方です。
影で好きにまた言えばいいと思えているトラたまさんは強いでふ! なかなかそう思えないと思います。
強くなっていると思います。
人を不快や傷つける人はそれだけ悪口を言われるし、本当に人に好かれることはありません。
それに、そういうことをするということは自分は同じことをされても文句はないと自分で言っているようなものです。
そんな低俗な人間相手にするだけ損。
見下すならその行動自体見下し返す。
私は幼稚園から高校まで家族も含めて態度には出さずとも、そんな気でいました。
孤独だったし辛かったけれど、それを告げて仮に謝られ慰められてもまず信用してないので本当の慰めにもならないと思ったので一切口にしませんでした。
言われて初めて気づくより、自分で気付いて態度で反省なり何なり示してほしかったので。
悪いところしかみれてない人は悪いところしか見られない人で、
人を見下す人は見くだし返される人だ。
そんな人より、良いところを見た方がずっと世界も人も素敵に見えるし、悪いところを探しても損しかないけれど、良いところを見つければその人の頼れるところ、ある意味自分にとってその人と付き合う価値が見えくる!
そう思って好ましくない人でも良いところを探そうと努力したときもありました。
良くないと思う人間と反対の人間になれば、他人がどう思うにせよ、自分は良いと思える人間に近付けると考えたりもしました。
自分が生きることやそばにいることを無償で許して望んでくれる人が一人だけいるだけで良いんです。
それだけで、自分は自分を生かす価値を見出せるから。そんなことも思いました。
多分、イジメられてた頃の後か前くらいで自分は敵より高尚な人間になってやるみたいな負けん気か対抗意識で自分を保っていた頃かと思います。
人の一生を考えたとき、本当に好かれて無償に何かを与えてもらえている人は、悪口を言わない(でも媚びるわけではない)
、人を思いやりそれを本心だと行動で示せる人で、その方がずっと素敵で格好良いです。
長くなりましたがトラたまさんが人間不信になっても、それで得た人を見る目に叶う人に会えることを願っています。
疑えるということは、なにを信じられるかをきちんと見極めることに繋がると思います。
なんか、あの頃の記憶はあるし、意見も言えるのに同じ視点に立てているかわかりません。
ごめんなさい。大人ってだから嫌なんだけどな。
お久しぶりです。トラたまちゃんは強くなってると思う。影で好きにいえばいい、って思うようになった、って、あの時の逆電の時とくらべると、凄い成長だと思う。だし、なかなか言えないもの。ただ、私は恥をかいて生きていくから、っていうのは、違うと思うな。私は、もっとトラたまちゃんは幸せになっていいと思うよ。私には想像出来ないくらい今まで辛かった分、もっと幸せなことがあっていいと思う。まとまってないし、上から目線でごめんね。