私が小4のとき
あの地震が私たちの生活を飲み込んだ
寒い体育館で毎晩過ごしたり
アルファー米でおにぎりを握って振舞ったり
そんな日々は1~2週間で終わった。
私たちは海から離れた所に住んでいるから
春にはいつもの家で寝起きして
給食ではパンとチーズと牛乳が出たし
今まで通りって訳じゃないけど
そこそこ普通の暮らしを送ってた
それなのに
同じ仙台の、東方の、沿岸部の人たちは
毎日泣いて苦しい思いをしてた
私は、沿岸部の悲惨な事実を知った時
遊びに行った事のある街のことなのに
何故か異世界の話のように感じた
あれから5年。
私はヘラヘラ楽しく過ごしてる
でも、まだまだ苦しい人がすぐそばにいる
同じ東北に、宮城に、仙台に。
この差は何なんだろう
なんで私は幸せに暮らしているんだろう
助けたい人が隣にいるのに
どう手を差し伸べれば良いのか分からない
この悔しさを5年間勝手に噛みしめてきた。
来年は私も高校生。
悔しいだけじゃ駄目なんだ。
行動しよう、
東北の未来のために。