5年前のあの日、私は当時小学5年生。三学期最後の理科の授業を受けて理科室にいました。
友達が揺れに気づき、理科室のぶら下がった電球がブランコのように揺れ、窓がきしみ、経験したことのない恐怖が私たちを襲いました。
避難で外階段を走っていた時いつもはおちゃらけてるクラスのみんなのあんなに怯えた声は初めて聞きました。
校庭に出ても余震が続き友達のお父さんがみんなを送っていってくれました。
家に着くといつものテレビはやってなくてお母さんがケータイを握りしめて祖母と祖父に電話をかけていました。
電気でキッチンがなりたっていたのでお鍋用のガスコンロでスパゲティをお母さんが作り、薄暗い中で食べ、いつ避難してもいいように私服を着て電源の落ちたこたつに湯たんぽをいれ、そこでみんなで寝ました。目を覚ますとあれだけ非日常的な事が起こったのにまた朝がきました。
テレビをつけると私達が想像したこと以上の事が震源地の東北で起きていました。
福島では小学5年生には理解出来ないことが起こり、
岩手の方では「津波」が町を襲い、
日本で何が起こったのか理解はできませんでした。
あれから5年私は中学校を卒業しようとしています。
3月になるとテレビ番組はあの日の話になります。あれから5年復興は進んでいます。でもまだ。まだまだ。みんなが元通りになる事は不可能だとしても10年後20年後少しでも多い人が普通の幸せな生活が過ごせていたらと思います。
長文失礼しました