まだ小学生だった僕。怖くて走って学校から帰り、家族みんなが無事だったことに安心しました。あの年の11月。被災地へのボランティアとして気仙沼市に伺いました。津波で海から何百メートルも内陸に運ばれてきた、マグロ漁船。沿岸の火災により、黒こげになっていた歩道橋。ほんとにこんなことがあったのかと信じられないような光景を見ました。それから4年半ほど経ちました。僕は高校3年生になろうとしています。もちろん、東北の同世代の人たちも同じように大人に近づいていってるんだと思います。5年目を迎えるにあたり、若者としての僕が見るべきだと思うのは、今見えてるものの先にあるもの。計画されている復興予定のその先にある日本の姿、原子力開発の未来。物理的なものだけでなく、例えば被災した方々と触れ合う機会があれば、その人だけでなく、その人の、さらにその先にいる誰かのこと。そうやって繋がっている人みんなの心の幸せこそが復興の証なのかと思います。易い言葉かもしれません。原発で作られていた電気を使っていた関東の人間です。特別な人を失ったわけでもないです。お前に何が分かるんだって言われるかもしれない。でも、東北の方々に分かってほしいのは、震災を通して日本中の国民が考え方を改めた始めたということ。それが行動として動くのは、もっと先で、僕たちの子供の世代かもしれない。それでも、僕は変わることを信じたい。そのためには、人が人を信じることが大切だと思うんです。辛くて誰も信じることができないような状況かもしれないけど、どこかの誰かを信じて生きていくしかないんだと思う。見えてるもののさらに向こう、声を届けた場所のさらに遠くの場所へ自分の思いを伝えることができる。このラジオを今日聴けて良かった。