僕らはお互いを繋ぎ止めるためにこの言葉を使う。
「好きだよ」
「あたしも好きよ」
かように。
なんとなく僕らは抱き合い、なんとなく口付けを交わして、なんとなく肌を重ねる。
なんとなく彼女の隣で目覚めて、彼女はなんとなく朝ご飯、ポーチドエッグやトーストなんかを作り、僕はなんとなくそれらを腹の中に収める。
ルーティンの如く僕らは寄り添い、共に生きる。
だってほら、ひとりで生きてくったって、なんかつまらないし。
けれど、君はこんな僕らを笑っちゃあいけない。
“僕ら”を代名詞としたとき、その言葉が差すのはきっと少ない人間ではないから。
「好きだよ」
「あたしも好きよ」
かように。