ずっと待っていたテーマ『掲示板逆電』
私は校長、教頭に質問したいことがあります。
おふたりにとって『親友』とはどんな存在の人のことをさしますか?
『友達って何だろう?』『親友って何だろう?』『楽しいって何だろう?』
私の長年の悩みです。(悩みにしてしまっているのかもしれないけど)
私には親友と呼べる存在はいません。この子は絶対という関係性の子もいません。あの子を胸を張って友達と呼んでいいのだろうか。
集団のなかにいると必ず生まれるもの、群れ。群れは集団のなかでも何かの一番の存在と結び付いているもので。
私にとってクラスメイトは話せる相手だけど、その子を誰よりも笑顔にできる自信はありません。もう各々で一番の関係性は出来上がっているし、別に壊したいわけじゃないけど、結局ひとりがなによりももどかしくてもどかしくて…。自分の性格、放つオーラがそうさせているのかもしれない。
でも、本当は何がもどかしいって、今の自分。
本当の自分ってどこにいるのだろうか?
本当の自分を見てほしい、でも、本当の自分がみつかること、なによりも恐ろしい。だって、今の私が壊れてしまうから。
誰かの一番の存在になりたかった、誰かの一番になる必要はないのかもしれない、でもその中途半端さがもどかしい、ずっと。
ひとりの方が私らしいのかもしれない、でも、私らしいって何?
誰にも言えなかったこと、なんでかここには書ける、先生たちにも言える。
全てがクエスチョンマーク。
逆電したい、逆電できたら私は変われるのだろうか。わからないけど逆電したい。他に比べたらとってもちっぽけな話かもしれない、でも私にとって消えてくれない大きな影。
あととーやま校長にとって、あしざわ教頭にとって、それぞれのことをどんな存在だと思っていますか?
人の意見を聞くこと、とても刺激的でいいこと、私にいろんな考えを聞かせてください。ひとりよがりは哀しいから。
私の親友は、中学3年間部活で習い事も一緒だった人とある店の店長さんですかね。理由はその方々にはよく相談になってもらうし、される側にもなっているからです
親友と言うであろう友達はいるよ。その子が1番ってわけじゃないし、1番の友達はいない。
でも、親友という言葉はなんだか薄っぺらいような気もするから、素敵な友達って言葉にしてる。
私の友達の話はいいとして、ひとりなのはもどかしい?1番になりたい?
もし1番でなくたっていいやと思うのなら1番にならないことが大切なんじゃないかな。
そうそう振り切れるものなんてあまりないもの。1番じゃないことは溺れないってことだよ。
まだ自分らしさが見つからないうちは色んな人と関わることで自分がみえてくると思うの。
色んな人と関わる前に1番を決めていたらもったいないよーっ