「君の書いてる大人論、読んでるよ」
エスプレッソを半分くらい飲んでから町田さんが言った。
「ありがとうございます」
わたしはグラスを拭きながらこたえた。
「あれを読んでちょっと思い出したんだ。わたしが広告代理店で働いてたころの後輩で、ディズニーランドが好きな奴がいてね」
「はい」
「あの話の主人公とは真逆だなって思ったんだ。ディズニーランド好きにありがちなんだけど、想像力ゼロだった」
「ああはい。脳内リゾートって言葉がありますけど、想像力があり余っているような人には必要ないですよね。アミューズメントパークは」
「そいつは結婚は早かった。つまりな、結婚しない奴ってのは想像力に現実が追いつかない。結婚の早いような奴は現実に対して想像力が及ばない。だからわかりやすい娯楽やライフスタイルに流される」
「なるほどー。さすがです」
「ま、何事も程度ものだ」
「バランスですよね」
「じゃあまた」
「いってらっしゃいませ」
訂正しなくてはならない。豊かな想像力が選択の邪魔をしてしまう。想像力の豊かな者にとって選ぶということは妥協するということだが、想像力の貧困な者にとっては選ぶことは妥協ではない。
大人になると想像力を失うとむかしから言われている。想像力の貧困な者は大人なのだ。想像力の貧困な者ほど結婚式や誕生日パーティーの演出にこだわる。想像力の貧困さを埋め合わせるためだ。もちろん妥協の埋め合わせでもあるのだが。
身分社会であらかじめ職業が決められ、恋愛結婚などなかった時代。つまり選べない時代には妥協もない。妥協ができるということは人生を選べるということだ。
メディアの発達によって人生のイメージ化が進んでしまったのが現代社会である。イメージとリアルのはざまで引き裂かれないよう、妥協したり、しなかったり、うまく使い分けて生きなくては。
引用文献
フランソワ・サイトウ(1954)『四十男の結婚』
天の川書店