自殺志願者を橋から引き摺り下ろして
それで、貴方は英雄なのね
一般論に背くことを言うようですが、自殺が悪という考え方は好きになれません。
彼または彼女が英雄と誉めそやされ囲まれていたとしたら、自分は遠巻きにじっと見つめていそうです。悪意も込めず、でも賞賛もせず、ただじっと。
自殺志願者は川底に(川とは限らないかもしれませんが)何を見ていたのでしょう。その瞳の色を何人が覗こうとするのでしょう。
なんて。
思ったので勢いでレスしてしまいましたが、苑上もしくは苑。さんの意図の全く外側のことを言っていましたらどうぞ聞き流してくださると有難いです。失礼しました。
はんなりボンバー さん
レスありがとうございます。
考えをお伝えいただけて嬉しいです。
私も自殺を悪とする考えには
如何しても馴染めません。
死が救済になることはあると思います。
自らのホメオスタシスに逆らってまで
命を絶つということは相当の勇気や思い切りが
いることで、早々は出来ないと思います。
それがやっと出来る、もしかしたら
この先もう出来ないかもしれない その瞬間を
目の前の死が不快だと身勝手に退けるのなら
それは悪だと思います。
その先の救済についての責任が
自殺志願者の瞳の色を覗き込んで
そこにあるものを分かち合う義務が
自殺の阻止には課せられるものと思うので
ただ引き摺り下ろしたというだけで
手放しで称賛するニュースや専門家や
教師たちに嫌悪を覚えたから
ちょっと此処に吐き出してみました。
それだけでは何の評価もできないでしょうと。
この手の話を聞くたびに思います。
死が救済になることはある、まさしくその通りだと思います。
命は別に大切でないと思っている訳ではないのです
ただ生きていること自体が重荷であるとか
呼吸をすることが憎くて仕方ないとか
そのような状況だってありますし。
命を、ただただ尊いものとして一般化するのではなくて、その人にとっての命が何であるか という見方で捉えるべきではないかな……と思います。
悩み相談ひとつとっても、(それは掲示板でのこともそうなのですが)中途半端になってしまうのが怖くて自分自身あまり入り込まないでいます
少し話が逸れましたが。
正義と悪の判断が立場によって大きく違ってしまうのは仕方ないことなのかもしれませんし、全ての立場を網羅することは可能ではないでしょうが、偏ることと頭ごなしの判断だけは避けたいと思いますし、それが出来ないならいっそ判断にはノータッチで生きようと思います。
また掲示板の文章を通して苑上もしくは苑。さんの考えていらっしゃることを垣間見れたら嬉しいです。
長々と読んでくださりありがとうございました。