お金で買えないものと呼ばれるものがあるのは
お金で買えるものがあるからだ。
じゃあお金をなくしたら
今買えるものも、買えないものも
平等になるの?
さあ考えよう、もちろん理由付きでね
成らない:ジャンルが違う。
平等にならないと思います。
私たちの生活は「等価交換」が原則だと思います。これは何もお金に限った話ではなく、異なる物やサービス同士の交換においても成り立つはずです。(異なるってのが重要です)ならば、お金がなくても異なる物やサービスの間に価値の差ができるのでこの時点で平等ではなくなります。
お金も価値も、今と云う時代の作り出した幻想に過ぎないと思ってます。要は需要と供給。
人々がなにを欲するかによって、為替相場では金銭(通貨)の価値も日々変わり続けているわけですし、戦時中など食べ物をお金で売ってくれないことも多々あったと聞いています。
古来は物々交換の時代から、人々はモノとモノを比較して価値を見出してきましたよね。一頭の鹿と一頭の象は同じ「一頭」であっても価値が違った筈で、それは肉の量や仕留めるための危険、そして見つける機会などを勘案して人々(世間、と云い換えても)が決めていたこと。それをわかりやすい形で置き換えたのが通貨であって、「カネ、モノ、時間」は同じ価値を持つんじゃないかなって思います。
つまり、お金ってものがなくなれば次に基準になるのはモノでしょうね。
それに、手の届かない金額のモノはないのと同じですよね。一千万のスポーツカーも五千万のレーシングカーも、ぼくにとっては同じ存在です(笑)
何をされても、どんなに頼まれても、自分の譲れないものがある。
それは貨幣経済でなくても代わりえない。
譲る、譲らない、ーそんな次元を飛び越えたモノがある。