昨日、学校で全校面接がありました。
その時に面接待ちしている生徒は教室で静かに自習ということだったのですが、私のクラスはとても落ち着きがなくて騒がしくなってしまったときに先生が入ってきて、その先生はこう言いました。『これはお前らのために1.2年生ははやく下校してもらって、先生方にも協力してもらっているんだよ。だから、お前らはその面接官をやってくれている先生方の為にもちゃんと勉強してなさ
い。』と。 その瞬間クラスのみんなが『なんで先生のために勉強しなくてはならないんだ。』と思ったそうです。なんで子供は大人の為にも頑張らなくてはいけないのかさっぱり意味がわかりませ
ん。大人だからって子供しかも生徒にそんなことを言っていいのかがわかりません。大人ってなんですか、、子供を支配するのが大人なのですか?すべての大人が子供を支配するような人じゃないって誰かが言っていたけど、私の学校の先生はそんな先生しかいない。私はそんな大人になりたくない。とーやま校長やあしざわきょーとーみたいな人がわたしの先生だったらいいなってすごく思ってしまう。 こんな私の意見、間違ってますか。
長々とすみません。
先生のために勉強するのではなく自分たちの勉強のために協力してくれる先生に感謝の気持ちを持ってということなのではないのでしょうか?私も当時はわからなかったけど今高校や中学を卒業して先生に思うのはもっと日頃から感謝の気持ちを伝ええおけばよかったなって思いますよ!
勉強はやって損はないよ。
オイラは勉強嫌いで逃げてきたから、今更ながら英語や数学で引っ掛かってる。
誰かのためじゃなくて、自分のためにやるもんよ。
これは憶測であり私の考えなのでこれが全てという訳ではないということをわかった上で読んでください。先生はきっとクラスのみんなをいい大人と言われる人になって欲しいと願う人だと思っています。先生の思ういい大人とは、みんながなりたいと願う職業に就くことだったり、なりたいと願っていない職業に就くことになってもみんなが笑ってくれていたり、幸せであってくれることだと思います。話を戻しますが、先生のために勉強する。と言うのは言い方の問題であって、きっと先生は、「自分のために」時間を費やしてくれる人がいる。ということを伝えたかったのではないでしょうか。勿論勉強するのは自分の為ですし、高校に合格するのも自分の為です。でもその為に環境を整えてくれる人たちは自分の為にでしょうか。先生という職業でしたら生徒の為にが仕事ですが、誰かの為になにかをするというのは凄く時間も手間もかかります。面接をするというのはほかの先生の仕事の合間にしてくれているかもしれません。予測でしかありませんが、きっとそういうことだと思います。
学校の先生と過ごす時間は3年間という短い時間だけです。そんな短い時間だけで大人と言われる人のイメージを作ってしまうのは勿体ないと思います。人の考え方は様々です。これからも理不尽なことを言われることもあると思いますが、考え方を変えてみれば新しいことがわかるかも知れませんよ。
とーやま校長もあしざわ教頭もSOLを聴いているあかやぶさんの先生ですよ。学校の先生だけが先生ではありません。
たくさんの事を考えて、たくさん悩んで、あやかぶさんの思ういい大人になっていけるといいですね。
長々と失礼しました。