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どれだけ見られても、重ねて重ねて最後は私が見る。全て見る。私は、私のこの人生において私が、大切なものを大切だと感じる事が出来ないようになってしまったことを見ている。私は、私が大切なものを大切にしたいことを見ている。その狭間で地獄を感じ続けることから、嗚咽して涙を流すことから、逃れられないのであろうことを見ている。どれだけ何も感じられなくなっても、どれだけ地獄をかんじても、それも私は見る。見なければならない。矢印は私から伸びている。自由として。
気休めであっても、解釈を駆使して自由を生むことは、素敵なことだと思います。
それが自分にとっての受験です。

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