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見ること

見ることの自由を、もう、とにかく失わない。この複合の核を見い出して、何もないが、他でもない私としての誇りを持って。奪われるという現象も地獄を見せられても、それを能動的にしっかり見て言葉を思ったり、素敵な他者を意識して。
感動エピソードのないような人生で、いつでも自分としては感動エピソード受け入れ態勢で、いつか泣ければいい。いつか、感動が成立するような場面で人に出会えればいい。
悪人ではない限り、例えばもしも近しい人間から強烈な孤独を押し付けられても、決してクズだとかにはならないから大丈夫。だからこそ悪人にならない価値は凄まじい。
大丈夫だー!大丈夫!
決してクズにはならない。

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