今日、「ことわる」ことと、「自分の意見をいう」ことが出来た。
なんだか、そういう挑戦ができるのがすごく楽しい。
今までなんか、自分の考えも持たずにひとの意見聞いてるばっかりだったから。
それに今日のテーマを結びつけると。
私は、ずーっと絶対的な大人がいるんだと思って生きてたんです。
だから、ずっと人目を気にしてたし、間違ってるって言われるのも怖くって、自分の好きっていうものを出すよりも前に
「セーフか、アウトか」を考えて生きていました。
何かをやりたいという友達に対して、私が考えていたことは、
「それはセーフかアウトか」でした。
つまり、本物の自分が会話しても見えない状態だったんですね。
大人は、子供に対して何か指定したり決めておいたりします。
まだ一人前ではないと思われているんだから、当然です。幼稚園保育園の子どもならなおさら。
でもね、そういう行為って、過度に出れば興味なんかを失わせたりもするんです。
躾?
いや、どこまでが躾なんですか?
完全に、親とか先生の趣味みたいなところが押し付けられていたりすることも、ありますよね?
大人の子供に対して言う基準って、それを言ってる大人が決めてるものなんですよね。
大人が判断してくれた、というぶんには感謝するのですが…
大人が言ったことが、
この世界における絶対的なもの、というわけでは無いんですよね。
無いんですよね…
私がそれを身を以て感じられるようになってきたのは、最近なんですね。
それが、成長かもしれない。ストッパーが外れるのが大人になっていくこと。っていう話はよくあるもの。
否定はしない。
でも…
例えば、その道に進めばノーベル賞間違いなしの才能があったとしても、環境によっては一生肉体労働をせざるを得ない人生もある。
その点、俺たちはやりたいことをやれるという選択肢が存在するから、幸せだ。
もちろん、やりたいことをするには、果たすべき義務や責任は全て自分の肩に乗ることを忘れてはいけないよ。
レスありがとうございます。
まさにそのとおりだなあ。
甘えてちゃだめですね。
ありがとうございます。
出来ることをやるからやれることも、ある…