みんないじめはいけないものって言うけど、じゃあどうしてなくならないんですか?テレビでも新聞でも沢山のメディアでたくさんの報道があるのにそれでも消えないし、いじめられている人はじっと理不尽を受け入れていくしか生きていく道はないのではないかと最近思います。解決策なんて人それぞれで、私達が生きてるのは学校っていうものすごく狭い社会の中だということを分かってもらいたいです。どうしても受験生で今年学校を卒業する今、ここに書きたいって思いました。この歳になって、初めて社会で言う理不尽という言葉を知りました。
自分もその意見ごもっともだと思います!
自分はいじめを受けてたとはハッキリ言えないけどそんな時期がありました。
相手はそんないじめてるなんて自覚がないから消えないとも僕は思います。
前に校長がサカナlocksのときに言ってたことに似てるけど、されてる側やその周りの人が声を相手側より大きくするって言うのは言い方が悪いけどそうするしかないと思いますね····
長文長々すみません。
長文なので覚悟して読んでください。
まず、いじめられる者といじめる者の考え方から。
いじめる者は、本人(たち)にはいじめている自覚は無く、いじめられる者に対して、もっと一緒にふざけたいという考えがある。
一方、いじめられる者は比較的内気だったり、人見知りだったりする。彼らはいじめる者のような行動力があまり無く、どちらかといえば控えめな者が多い。
いじめとは、このような意見の違いから生まれる場合もある。もっと自分にかまってほしくて他人にいたずらをして、でもされる側からしたら迷惑な気分になる。
結局、「いじめ」はいじめられている側の捉え方であり、いじめられる者がいじめだと思ったら、それはもういじめの一種となる。
しかし、前述のようにいじめられる者には比較的控えめな者が多い。そして、彼らは他の大人に、いじめを受けていると言うのが恥ずかしくて、自分の中に抑え込んで、独りで悩んでいる。
そして、いじめる者たちはそれをいいことに、いじめられる者にさらに近寄ろうとする。
結局はこの連鎖である。
ということではないでしょうか。
たくさんありがとうございます。お話を聞いてくださり嬉しい気持ちです。確かに両者にはお互いに分かり得ない相違が見えると思います。それはループの中にあるかもしれないけれど、それを断ち切る努力はどちらにも必要かなと思いました。本当にありがとうございます。