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あくまでも

君は私の「親友」で 私は君の「一番の理解者」
君から授かったその称号は
嬉しさの中に 苦さも含む

素顔の分かりにくい君だから
ちょっとやそっとじゃ立てない立ち位置

それは重々分かってるけど


いつかそれを飛び越えて
私の到達できないところに
誰かが立ってしまうのか

そんな時でも私は
少し離れた隣から 君の幸せを祝うのか

「君はここには来れないんだよ」
その代わりだと 渡されたその称号は
どんなに待っても もう変わらないのかな


諦めたつもりで 分かったように
与えられた役を 全力で果たそうとはしているけれど
他に目を向けようと 努力はしているけれど
それでも思考は持っていかれて
心の端が 痛んでる








まだ私は君が好き。



【一番の理解者でいて欲しい。
その言葉、どう受け止めたらいいんだろうか、期待してはいけないの?
皆さんならどう考えますか…なんて。】

  • 片想い委員会
  • ずっとモヤモヤ
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  • 1番の理解者でいるというのは、1番そばにいてあげなくちゃ無理なことなんじゃないかなって僕は思います。

    諦めきれないものを諦める必要なんてないと思います。

    あなたが好きでいる限り、その人を想うのはあなたの自由です。

    生きているうちは、そばにいれるうちは

    相手の言葉なんか、理由にならないはず

    …なんて

  • いちばんの理解者、確かにそれに替わるものはないのだと思うけれど、きみの欲しかった場所じゃないのかな、きっと。
    男と女、ってものは理解し合えないのかも知れない、って思うのは独り者のぼくの淋しさなのかも知れないけど(笑)、いろんなかたちの大切な人がいて、そのかたちが噛み合わないのは幸せなことなのか不幸せなことなのか…

  • 恋人という存在が隣に立つことなら、一番の理解者はその人と背中合わせに立つことでしょうか。たとえ見ているものは違えども、確かにその人を想い、守っている存在なんじゃないかなあ。
    素敵ではあるけど、少し苦しい。
    私情を挟んでしまうけれど、私はそれでも期待して信じ続けてしまうし、願ってしまう。時間がかかるかもしれないけれどあの人の隣に立ちたいと思ってしまう。

  • てらさん、シャア兄、せぶん先生、御三方ともそれぞれに素敵なご意見ありがとうございます!
    特にせぶん先生の背中合わせっていうイメージは私も考えたことがあって、同じことを感じる人もいるのかと感動しました。様々な捉え方があるし、どんな捉え方をしたとしても、結局自分は心のどこかで期待してしまうんだろうし、無理にそれを消そうとする必要は無いのかなと思いました。ありがとうございます(^ ^)
    まぁ、他の人に心奪われていく姿も見ていなきゃいけないってのはやっぱりちょっと苦しいですが。笑←