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3月11日「あの日」

私はまだ小3で理科の最後の授業が
終わろうとしてた所でした。
号令をかけようとした時揺れに気づきました。
先生が天井を見ながら「机の下潜ろうか」と言い、
揺れが大きくなると比例する様に響く悲鳴。
いつも明るいクラスメイトのあんな顔を見たのはあれが最初で最後でした。
外にに逃げ、揺れが収まり荷物を取り行ってグラウンドで親を待ちました。
うちは幼稚園に弟達がいたから遅いだろうなぁなんて思ってたら同級生のお父さんが大きな車で来て、「うち方面はみんな乗りな!兄弟達も乗っけてくよ!」と言ってくれました。
妹と一緒に送ってもらい、家につきました。
仕事に出ていた父とは5秒だけ電話が繋がり、安否だけは確認できました。
停電してるからお米は炊けない。ガスは使えたので母がパスタを作り食べました。
大津波警報が鳴り響き、妹は怖がり、服を着て、ラジオをつけ、懐中電灯をつけ、父が戻らない中みんなでこたつに湯たんぽを入れて休みました。
その日の夜中電気は復旧。
テレビを付ければ理解できないニュースが流れる。
日本のどこかで大変なことが起こっているのに、いつも通りの朝が来ました。
その起こっていたところにも朝は来ました。
神奈川だから被害なんか数えるほどしかないのに、学校で死ぬんだと思いました。
ここで死ぬほど怖かったからきっと震源地のほうはもっと怖かったろうなと小さな頭で考えました。未だに鮮明に思い出せます。
いつか東北の街を自分の目で見に行きたいと思います。
その時は綺麗なものいっぱい見させてください。
胸が痛いところもいっぱい見させてください。
美味しいものいっぱい見させてください。
楽しみにします。

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