文明が発達すると信仰は廃れる。なぜ信仰が廃れるのかというと合理的でないからだ。近代化とは合理化なんだよ。信仰が廃れることによって文明はさらに発達する。だが人間の気持ちはなかなか合理化できるものじゃない。合理化できるどころか、文明の発達によって生活が豊かになると、ロマンチックな恋愛を望み、結婚相手に妥協しなくなる。晩婚化が進み、少子化に拍車がかかる。
せっかくの休日に何をやっているのかって? テレビを見てゴロゴロ。ゴロゴロしながらテレビだ。しょうがない。金がないからな。テレビにも飽きた。久しぶりに本でも読みたいが、手元に本はない。図書館に行く気力もない。なぜなら今日は雨が降ったりやんだりして寒いから。
雨が降ったりやんだりするのを、神の仕業だと考える人はもういない。どういう仕組みで雨が降るのか、知っているからね。だが、知らないことについてはどうだろう。
原子力発電のことをきちんと理解している人間はそうはいないだろう。だが原子力発電を神のわざだと考える者はいない。わからなくても何らかの合理的な仕組みによってはたらいているのは自明のことだからだ。
オカルトの罠にはまってしまう、短絡的思考、単純因果論でしかものを考えられない人もいるが。
疲れたな。後悔はないよ。すべては運のなせるわざだ。人生なんて偶然の産物でしかない。
どこを見ても、俺みたいな年寄りばかり。つまらん世の中だ。
ちょっと眠らせてもらうよ。そうだな。目覚めないかもしれない。ははは。年寄りジョークだよ。
合理化できないから祖先信仰が廃れないのだろう。