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乳房

 朝から胃が痛かった。私は中年になっていた。もう死んだ父の年をこえたはずだ。父は二度離婚し、三度目の結婚をする前に事故で死んだ。二度目の離婚のときは、私は高校を卒業したころだからよく覚えている。父は、娘(私の異母妹)と別れるのがつらかったのだろう。しゅんしゅんと泣いた。でかいなりした、いい大人が、しゅんしゅん。離婚の原因を作ったのは自分自身なのに。
 その年、初めての彼女ができた。二歳上の、小柄で、胸の大きな。多くの男性が大きいバストに魅了され、女性が大きいバストに憧れるのは、授乳期の母親の乳房に刷り込みされているからだとか。私はプレゼントの包みをほどくようなわくわくした気分でブラジャーを外した。あらわになった規格外の胸の大きさよりも、規格外のブラジャーの大きさに驚いた。
 父はヘビースモーカーだった。私は吸わない。父の妹、私の叔母も喫煙者だ。孫ができて、禁煙を何度か試みたが三日と続かない。高齢出産で生まれた子どもは煙草をやめられないケースが多い。高齢の母親は授乳能力が低下しているため、乳離れが早く、乳児期の口唇性の欲求が満たされないまま大人になっているから口に何かがないといられないのだ。煙草のほかに、茶、コーヒーなどの嗜好品も不可欠だ。アルコールも、飲めればの話だが。
 煙草を吸いながらーーいまにして思えば大人っぽく見せたかっただけだったのだろうーー胸の大きな彼女が私に、「くだらない話をしていることを気づかせたかったら、相手の言ったことをおうむ返しにすればいいの」とよく言っていた。私はだから彼女の言うことをすべておうむ返しにしていた。
 どうでもいい汎用性のない話ばかりする人間に対して、こいつは何を考えているのだなどといぶかってはいけない。何も考えていないに等しいのだから。
 彼女はよく、私の行動を実況していた。何も考えていないやつは人のやっていることに目を向ける。考えいるやつは人の考えていることに目を向ける。彼女とは、半年で別れた。
 考えることができない人間に考えることを強要しても意味がない。
 彼女は結婚したのだろうか。したのだろう。子どももできて。自慢の乳房も、垂れてしまったのだろう。

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