雨降りの駅。
ふと見覚えある後ろ姿。
思い出す苦い思い出。
一つ隣の車両に乗り、お互いの待ち人のところへ。
なんとなく見つめたあなたの読みかけの小説のタイトルは
あの頃から変わってなくて。
時の流れが止まっているのかと感じてしまう。
駅のホームで迎える知らない人を見て気づいたよ。
あの頃から2人の視線も想いも
触れていなかったことに。
…なんて
雨降りの駅、ってだけでもう全部持ってかれるよね(笑)反則…
けど切ないなぁ。少なくともぼくはこの歳になっても他人のことがわかるほどまだ人間になれていない気がするし、そう考えると人生って短いなぁ…
情景が感情を表す、日本語だけなのかなーって思うよ。
言葉の奥深くに隠された思いを読み取る、日本人って難しいことをしているよね。
人のことを理解することは僕は無理だと思うよ。
立場が変われば、時が変われば、場所が変われば、空気が変われば、
人はいろんな顔を持つ。
でも、理解できないから理解しないって言うのは違うの。
理解しようとするから、分かりあおうとするから
人は深く交われる。
愛という言葉はそういう意味なのかも。
…なんて
理解できるとか、人はわかり合えるか、なんて大袈裟な話ではないんだけど…
なんて云うのかな、誰かひとりの人間とちゃんと向き合って愛せるだけの大きさがまだ自分にはないって思うんだ。
まだ出会ってないだけなのかな。でもいざ出会ったとき、自分が未熟なせいでその人を失ってしまったらと思うと、少し怖い…
なんで、そんなにネガティブになるのか、ちょっとわからないけど
普段のシャア君なら一生懸命、その人の為に頑張れると思うし
未熟なところだって、一つの魅力じゃないか。
向き合うことに自分の小ささや大きさなんて関係あるかな?
僕は、向き合おうとすることを避けようとしてる言い訳にしか聞こえないよ。
その人と向き合っていられる時間はきっとあっという間だよ。
たったわずかな時間を、向き合えなかったとか、きちんと愛せなかったとか
僕は許せないよ、きっと。
シャア君は、君が思っているよりずっと素敵だ。
まだ歩いていない未来にネガティブな感情を抱くより
いつもの通り、できること、してあげたいこと
いっぱい考えなよ。
その方が何倍も素敵な人生だ、
…なんて