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かっこ悪いのは嫌だ。かっこつけているのは寒い。

結局どっち?ありのままをさらけ出して恥ずかしい思いをするのは嫌だ。でも、自分を隠してガチガチに作り込むのは苦しいし、周りから見ると寒い。臨機応変、という言葉が嫌い。大人は都合よく物事の視点を変えられるようだけど、私は不器用だから同時に物事を考えられない。前も横も向けない。何でも出来る子が世の中求められているのは何故?私には出来ない事の方が多い。圧倒的に。隣の友達が出来ることの半分くらいかもしれない。比べる事、比べられる事はすきじゃない。でも、比べる事、比べられる事で成り立つこの世界だから、他人よりも少しでも高い所に居ようとして他人を蹴飛ばし、自分がコケる。登っていく人間は限られている。それが運か努力かは分からないけれど、私はそちら側になりたいと強く願っている。蹴飛ばされないように。コケないように。結局はどちらでもない人間が勝つのだと思う。皆さんは?

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  • 俺もどちらかというとできない人間で
    言ってることはとても共感できます

    でも、きっと皆何かしら少しでも劣等感を持って生きてるんじゃないかと俺は思ってます

    そしてその劣等感がちょっと自分は多いだけなんじゃないかと思い込んで

    気楽に過ごそうとしてますね

  • 何でもできる人っていうけど、多分いないよ。だからこそ求められるのではないかな? 人間なんざ所詮無い物ねだりなのだから。

    周りに完全に合わせないように、自分は自分、でしょう?

    面白い話、経済学という分野では一般的に「今までの成功は運で将来の成功は努力」らしい。