先輩に赤ちゃんができて、今年の六月産まれました。
先輩は「生まれて来てくれてありがとう。お腹にできてくれてありがとう。」と言っていました。
そう思ってくれるなんて子供は幸せですねと私が言うと先輩は「沙耶花の親だってそうだと思うよ」と言われました。
そんなの信じれない。「あんたたちが生まれなかったら今頃別れられたのに。」あんなこと言われて、生まれてくれてありがとうなんて思ってるわけ無い。
姉の事は思ってても私のことは思ってない。おまけに私は父親似。生まなきゃ良かったって言われてるもんだ。
すいません。荒れました。
多分、そうだろうな。反面教師にすればいいなんて言葉は軽いのかもしれないけど、そういうことになるのか。
荒れたっていいじゃん。多かれ少なかれ、悩みってのは千差万別にあるものだから。
ダブルオーライザーさんありがとうございます。
もうわけわかんないですよね。
運命の鍵Ⅱさんありがとうございます。
高橋優先生の少年であれですね。あの曲は本当に涙腺崩壊するような曲です。前も書いたような気がしますが、自分の気持ちわかってるんじゃないかなって思うくらいです。
後付でもいいんですね。なんで生まれたのか、なんで生きてるのかその答えが見つかればいいな…。もし自分に子供ができたら。私はいつも一人にされていたので一人にしないで小さいうちは一緒にいたいです。
覚えてくださったんですか!ありがとうございます。
答えって簡単にみつからないですよね。今すぐ見つかるかもしれないし自分が家庭持った時にみつかるかもしれないしお爺ちゃんお祖母ちゃんになった時に見つかるのかもしれないし。
不思議ですね。
そうだね…
悩むだけ悩んで、それを吐き出してってことだな。 だけど“それでも”って生きるしかないのかもな。
難しいですね。
生きることは難しいですね。いつか答えが見つけられるかな…
答え、か。見つかった方がいいのか、見つからない方がいいのか。何となくね、「○○のため」って生き方はしたくないなって思う。
難しいですね。それに深い。
どっちがいいんでしょうね、実際。
自分が死ぬときに幸せだったっていう生き方ができたと思えたら。それが一番なんでしょうかね。
多分ね。
あえてそれを証明する必要もないしな。