どうせ誰も見てないから どうせ自分なんて どうせやったって 良いじゃん。どうせ気にされてないんだろ?所詮その程度なんだろ?好き勝手やってやるよ。 蕾の頃目もくれなかったあいつが花咲く頃にこっちを向く。振り向かせたのかあのとき見なかったくせに見てることにナイフを突き立てるのか。 視点を変えながら。 ネガティヴな気持ちを抱えながら書く筆者より。
センターにマイクを挟んで立つあの2人も ゆとり世代とくくられるあの人も まだ陽の目を浴びてないままで持論を語りつける目上の人も 今きっと自分がこうして言葉での評価の上での 話。あの人明日どうなるかな。その人を憎む人、嫌う人、評価する人。そんな世の中。知らないままいなくなるのヤダな。知ってからここからいなくなりたい。明日寒くなるかな。
「あの人裏がありそうでヤダ」とか「あの人ホントは性格悪そう」。聞いてるとバカの話にしか聞こえない。 嫌いな人に嫌いと言えないならそれは表だし裏でもある。裏で色々言うのも表だし裏。 結局表も裏もない。表裏一体。
初めてカキコミします。 最近学校掲示板に表現というテーマでカキコミした。 人は生きてる以上表現で生きて表現に影響される。言葉という手段で。人が出来ること。でもたまに思うのはその人が好きだから、ただただ共感して影響されて生きているのでは?嫌いだから共感しない、その人に見向きもしないのでは? と考えた時に改めて自分は人間であると。人に影響されるのなら人に影響されない道も選べる。 で結局影響って?