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少し遅れてしまったが・・・

慶長5年9月15日(旧暦)には関ヶ原の戦いが起こった日です 先週は文化祭やら体育祭で色々と忙しいかったので書き込みが出来ませんでした・・・
まず関ヶ原の戦いとは大雑把にいうと石田vs徳川の豊臣家No.2争いの戦いです
戦までの経緯は上杉とか小山評定とか伏見攻めとか出来事的にも字数的にもいろいろと面倒なので割愛します
合戦は先陣が福島正則だったのに徳川四天王井伊直政の抜け駆けによって幕が落とされました(いろいろあって井伊直政は撃たれそれが原因で死にます)井伊隊が突撃したことにより関ヶ原各地で武将同士の激突します。ちなみに最大の激戦と言われたのは東軍・福島隊と西軍の宇喜多隊の争いです
激突から2時間過ぎた頃やや優勢だった西軍は総攻撃の狼煙を上げます(味方の半分くらいに無視される)
しかし正午過ぎになると歴史は動きます
徳川家と通じていた小早川秀秋が西軍を裏切りますこれにより小早川家が陣取った地域の周辺の武将も徳川方に寝返ります(この周辺の武将は西軍の知将大谷吉継が小早川家が寝返ったときの防衛用として置いた武将)そんな武将が寝返ったことにより大谷吉継は討ち取られます
そして西軍の陣形に穴が開き西軍は次々に壊滅敗走して行きます(島津家は敵陣の中心を突破して退路を作った恐るべし九州の戦闘民族)
そして関ヶ原の戦いは徳川方勝利の結果でおわります
かなり完結的に書きましたので分かりずらいことや質問感想等があったら是非ともレスください