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未来の鍵をいくつも手に入れた『今』を生きて。

みなさん、こんばんは!新潟県のすのーどろっぷ。と申します。
まず西日本豪雨で被害に遭った方ほんとうにいろんな思いを抱えて過ごされているかと思います。休めるときに休んで、体調など御自愛くださいますよう、心から願っております。


さて、卒業生の今ということなので久しぶりに書き込みをしました。

わたしが覚えているラジオネームも何人か見つけ、みんなほんとうにいろいろと乗りこえて来たのだなあと思うと同時に嬉しいです。

わたしは2008年の12月に23歳でこの学校に入学し、2015年の8月の未確認フェスティバル参加をもって卒業しました。

わたしは仕事、友人関係、恋愛の鍵を此処でみつけることができました。

それからその『鍵』で扉を開け、冒険している最中です。

仕事は就活で挫折したりバイトをしたりしてバイトは1年近くしていましたが、今3年目の半ばまで同僚や上司、他の職員と相談支援員、就労支援員さん(障害者専門)の担当さんや友人たちの力を借り、頼りながら生きてここまでこれています。

頑なに頼りたがらなかったわたしが、大きな一歩ですね。

今年の8月には苦手分野への挑戦をします。

わたしはまだまだ挑戦中。新しい鍵を、扉をみつけてあけるために。

ではみなさん、またどこかで会いましょう٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
すのーどろっぷ。


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自分の今。

こんばんは。卒業生というわけでもないですが、最近は放送を聴くことが少しずつ減ってきてきました。
中学1年生の時にSCHOOL OF LOCK!を知って、今23歳になりました。ついこの間まで学生でしたが、社会人になりました。10代の時は、とにかく学校に行きたくないと思うことが多かったですね。その分、学校が好きという気持ちもありましたけども。特に高校の時は、不登校気味になった自分を掲示板を通して、たくさん支えられていました。大学の時も、嫌なことなどこの掲示板に書いて、でも皆さんに受け入れられてきました。
本当は、大学を卒業して、心理学のために大学院に現役で進学することを考えていました。しかし、本当に進んでいいものなのかと思って、あきらめました。ですが、後悔はありません。今、夢だった一つのことを叶えることができています。これはこれで、自分の挑戦として、のことでもあります。
もちろん、これまで中学の時から視野に入れていた心理の仕事、スクールカウンセラーの夢を完全にあきらめたわけでもありません。来年あたりにもう一度勉強しようかなとも思っていたり(完全に未定な話ですが)。
ただ、言えることはこれまでの経験は無駄ではないということ。そして今のことも。今、新しいことということもある影響か、充実していると感じることが多いです。
20代になって、掲示板で年下と関わることもさらに多くなっていますし、大学で県外を出て、未確認フェスティバルのLIVE審査や選挙のシンポジウムというようにイベントにも参加できて、10代の生徒さんとも関わる機会もありました。自分ももっとがんばろうと思うこともあります。そして、自分の経験などを通して伝えたり、できたらいいなと思ったり。そう思いながら、ここ最近はレスをさせてもらっていたりします。
自分も、これからも前に進みたいと思います。

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掲示板・SOL!を聴いているみなさんへ。

私は小学5年の時に阪神淡路大震災をテレビで。
20歳になる年で中越大震災を経験しました。
2011年の東日本大震災の時は職場で揺れを感じました。そんなわたしが今伝えられることは、震源に近い、またはその周辺に在住している方、身の安全の確保しながら、とにかく、確実な情報を得ながら、少しの合間に、此処に来て気持ち出したり(掲示板で気を使っちゃう方は、メールでもいいと思う。気持ちは、出して欲しいです。)、音楽聴いたり、周りの方のおてつだいなどしたりしてみてください。余震が続くなか、屋外で待機した時や筆記用具だして、避難所などで小さい近所のこどもたちと、絵を描いたり歌を歌ったりしてわたしは過ごしていました。飲み水の確保はオススメします。『だいじょぶだよ、だいじょぶだよ、そうだね。怖いよね、心配だよね。』と声をかけていました。こういう時、うちの親の方が私より落ち着いてはいなかったと思います。現地でさまざまな形で支援など従事していらっしゃる方、本当にお疲れ様です。安否の確認や映像などの情報でいろんな事実を知ることも、怖いですよね。
私はひたすら、耳から入る情報だけに絞って居ました。メンタル持病だったこともあるので。映像は、インパクトが強すぎる…それが現地なら、なおさらです。