もう5年
私の県は被害が東北で極端に少なく、「今住んでるのって本当に東北か?」と思ったのが震災直後。揺れは震度6弱とかいったのかなぐらいしか覚えてない。後で震災の記録とかを見ると、「山形県ありがとう」の文字が多数。山形空港はドクターヘリの拠点となり、山形県全体は、福島からの避難者受け入れという形で被災地を支援しました。私は当日小5。帰りの会がちょうど終わった時にあの揺れが襲いました。当時の担任はいたって冷静で、「机の下に入れ!震源は大体宮城沖だ」と。揺れは長くそして弱く。長すぎて泣き始める同級生も。当時の私は「海の震源だったら津波……」と一瞬考えましたが、すぐに家族のことを考えざるを得なくなり、かき消されました。今思ってみると、担任の言葉は当たってたし、あの時考えていたら、これまでボランティアとかやってたのにと思ってしまいます。でももう5年。なんか虚しい。なんかやりたかった。今の自分に何ができるのだろう…