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言葉の刃物

私は昔から目に見えないものを擬人化のようにある身近なものとして考えてたことが多かった。空や太陽を擬人化するみたいな感じで。
その中で今もずっと癖として残っているのが、言葉や音を刃物や他のもので例えること。
私は沢山言葉の刃物を見てきた。それを心臓や体に思いっきり刺されてきた。ブサブサグサグサって。その傷は10年以上前の傷でも未だに治っていない。
さっき、ある先生も言葉は刃物だと言った。マジョリティに流されて、知らないうちに言葉の刃物で人を何度も何度も刺してるって教えてくれた。
こんな先生学校にはいなかった。教えてくれなかった。なんで暴力や暴言がいけないことなのか、ちゃんと向き合って教えてくれる人なんかいなかった。だから、嬉しかった。教えてくれた人がいた。わかってくれていた人がいたんだって。
私も知らないうちに人を傷つけることはあった。絶対あった。気づいていなくても絶対そうだと思う。その証拠に知らず知らずのうちに傷ついた心が、私の中にあったから。
人ひとりがああやって必死に世の中に伝えたとしても、きっと数年、数ヶ月、数週間、数日、いや数時間で、人は変わる。きっと世の中はそんなことはなかったかのようにいつも通りに動く。でも、一瞬でも教えてもらえてよかった。わかってくれてよかった。私も自分を振り返ることが出来てよかった。
先生、ありがとう。先生はしなないよ。命は誰かの心に生きてる限りしなないんだよ。私は絶対忘れない。

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辛かったけどいい思い出

ここ3年間での辛かった思い出を思い出しながら書いています。
1番印象に残っているのは去年の秋に入院をしたことです。1週間という短い時間でしたが久々だったので苦しいのも、寂しいのも、辛いのも、感動も、沢山味わいました。1週間会ってないだけで恋しくなるほど大好きな幼なじみ、1週間会わなかっただけで泣きそうになった家族。久々に食べたお母さんが作るご飯…どれも私には大切なものなんだと再確認出来ました。そして、今出来ていることがどれも当たり前じゃないということを改めて思い知らされました。小学校の頃にも同じようなことがあったのですが、あの時よりは物凄く短い期間だったし、痛いことだってあの時に比べたら少なかったのにその時と同じくらい帰ってきたあとの1週間くらいはずっと色んなものが輝いて見えて、毎回感動していました。
そして、もうひとつ。すごく最近の話なのですが曾祖母が亡くなったことです。身内の不幸というものをあまり経験したことがなかったのもあり、全てのことが初めて見る光景で、しかもお葬式に来てもらう側なので、泣きたいけど泣けない、泣いてる暇もないという状況のまま全てのことに出席しました。記憶に新しいのもあるのですが、相当印象強く残っている出来事です。

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