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僕の事ですがお話しさせてください

僕の青春は小学校で終わった・・・
僕は発達障がいという障がいを持ってる、けいどは軽いがしっかりと障がいを持ってる、小学校の時は友達や先生が分かってくれてせっしてくれた、その時は本当に嬉しかったし、楽しかった。だけどそれが終わると青春も終わってしまう事にこの頃は気づかなかった・・・そして中学が始まり、高校が始まり、僕の辛くて苦しい六年間がやって来た・・・養護の学校だったからか、友達もあんまり出来なかったし、作ったとしても少なかった・・・高校の頃に先生に言われたのは(同じ人とではなくて、他の人とも話なさい)何でなの?だって話すのが無理だから同じ友達でもいいじゃん、話せるやつがいたから話してるだけじゃん、それなのに何で他の子とわざわざ話さなきゃならないの?と思いつつも他の子と話した。そのおかげで話のはばが増えたから良かった。だがそれでも、いろいろと悲しくも辛い事が沢山起きた・・・自分の行ってた学校は、校則が厳しすぎるぐらい厳しかった・・・携帯は電車で使うな、マンガも読むな、ゲームも持ってくるな、ウォークマンも持ってくるな、など、電車での校則が厳しすぎるぐらい厳しかったのに加えてジャージもほぼ無地の白いジャージを来てこいと言われたし、必ずデパートなどは、親と一緒に行かなきゃいけなかったので、何かあったら直ぐに先生に呼ばれ(あなた昨日〇〇に居たでしょう)や(あなた昨日〇〇さん〇〇に居たでしょう)など直ぐに人を呼びつけどうでもいい事で説教してくる・・・何でなの?何で友達や先輩たちと遊んじゃいけないの?何で親一緒じゃなきゃいけないの?本当にそれが分からなかった・・・学校の寮にも住んでた時期があったが、
悪さをしたりもあって、合わなかったし、上手くいかなかった。結局、一年もたたずに辞めた。一時期学校をちょっとだけ休んだ時もあった。本当に六年間いい思い出もなく、悲しいだけだったし、辛いだけだった。中学高校は反抗期もあって母親と言い合いもした。本当に本当に六年間が辛くも苦しい悲しいだけで終わった。先生達は、障がいを持った人達の事を分かろうしない先生が多すぎた。本当に悲しくて、辛くて、悲しい六年間だった・ ・・唯一の楽しみは休みの日だけだった。だが結局、何処かに出掛けても先生に見つかり、担当の先生に言われるだけだった・・・本当に六年間そんな事があったから今の僕が要るんだ。そして今は僕の事を