3ヶ月前(2/1)に初献血に行ったんだけど、その時刺した針の跡がまだ右腕に赤く残ってる。 触れると心なしか痛みが走る。 結構針太かったし、思い返すと少し怖いなあ。 夏休み前には2回目行く勇気出るかな。
「ありがとう」の言葉に包容力を持たせたり、気持ちを込めるのってちょっと難しいなって思う。 僕のはいつも自然じゃないというか、空虚な響きになってる気がする。まだ心が足りないな。
基本的に独り行動多めな僕は部活動に所属するのが嫌で、大学進学してもサークル活動はしないだろうけど、 「紳士によるテーブルマナーサークル」とか、「サイフォンで珈琲淹れようサークル」があったら即入会するよね。
どうして綺麗な花ほど早く摘まれてしまうのですか。悔しくてたまりません。
言葉は気持ちを正確に代弁してくれるほど器用じゃない。 大事な“何か”は言葉にならない。 書き出すこともできずに、ずっと頭の中に居る。 言葉じゃ足りないんだ。まだ心が足りないんだ!
悲しい時とか苦しい時の方が生きてる心地がする。 最近は苦悩が快になっているかもしれない。 人ってヘンな生きものだな。 おもしろい。愉しい。
俺「なあお前、全部自分ひとりで抱え込まないで、もう少し他人に頼ることを覚えてもいいんじゃないか?」 僕『やだね。これは僕のことだから、全部僕がやるんだ。この苦は僕の意志だ」 俺「じゃあお前の安らぎは何処に在るんだ?」 僕『…』 俺「無ェのかよ。ハァ……いいか。別に、誰かに安らぎを求めることはしなくてもいいが、頼れる他人の“存在”だけはつくっておけ。それだけあればお前は十分安らげることを俺は知ってる。家に帰ることが出来なくても、帰る家が在るということはとても重要なんだぜ。」
大人と話していると、たまに同い年と話している気分になることがある。言葉遣いがどうこうじゃなくて、話している内容。だから大人がわからなくなる。祖父や叔父と話している時がそれ。 母と話していると、彼女の思考は極めて浅いなと感じる。彼女は大人じゃないと思う。
正義なんて解釈次第でいくらでも変わるじゃないか。 規範に従え。心に従え。 必死に生きるか、必死に死ぬか。 愛ってなんだ。尊厳って?秩序って? 僕は何者なんだ。 いつまでも悩んでいる自分がどうしようもなく嫌なのに、それでもずっと悩み続けていたい。 どうしてだろう。 悩むことが快になっているのだろうか。それとも、そこに可能性を見出だしたのだろうか。
意味なんてものは、無いんだ。だからー。 それは自身で埋め合わせなくちゃならない。 自身に、問い続けななければならない。 険しい道のりになるけれど、きっとその先に、人の求めたものがある。 僕は、これでいいんだ。これが僕だ。 可能性があれば、それでいい。 僕には僕が、必要なんだ。